「えっちゃん、今回せっかく日本から来て頂きましたが、このベートーヴェン全集はボツにしていただきたいのですが。」・・・僕は一瞬、耳を疑った。東京からスタッフを3人と機材をハンガリーまで派遣し、オーケストラにフル・フェアーを支払い、やっと全集の録音を完結した夜のことであった。
時に1994年の早春、ブダペストのコングレス・ホールの楽屋で、第九の終演後、小林マエストロから飛び出した、信じられない言葉であった。
以来、決して日の目を見ることもなく、小林研一郎=ハンガリー国立交響楽団 ベートーヴェン交響曲全集、その幻のマスター・テープは、今も僕の手元で封印されたままになってる。
小林研一郎のベートーヴェン全集、それはぼくの録音活動において、鬼門ともいうべき、いつも何らかの障害によって、仕事がとん挫してしまうタイトルなのである。
2度目は、2003年に、日本フィルと大田区民アプリコでシリーズが企画されたものであったが、それも、とあるトラブルによって最初の録音で中止を余儀なくされた。
これまで、録音活動には特別拒否反応を持ち続ける、小林研一郎とともに、まとまった数の録音を残すことが出来たが、ことベートーヴェンとなると、一筋縄では行かない。それは一重に小林マエストロ自身が、自らのベートーヴェン作品に対する、異常ともいえるほどの拘りや、演奏の完成度に対する厳し過ぎる自責などによる、言葉では言い表せない彼自身の「思い」の強さにほかならない。
ぼくは、今スタジオで出張までの残務をこなしながら、ぼくと小林マエストロが88年の出会いから長きにわたり、ようやくその日を迎えることになる、来週の大仕事に一入の想いに駆られる。。
小林研一郎=チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 ベートーヴェン交響曲全集・・・その言葉の響きに、終に臨む3度目の正直に、大いなる期待がふくらむ。
「小林研一郎ファンの皆さま、大変お待たせいたしました!!!」と大きく新譜のリリースを謳うその日をぼくもコバヤシ・ファンの一人として、待ち焦がれるのである。
・・・・・この録音の模様は、来週プラハから続編をお送りいたします。
録音技師 江崎友淑