アシュケナージ&シドニー響とのプロコフィエフ・シリーズにおいてソリストとしてピアノ協奏曲に登場したアレクサンダー・ガヴリリュク。
CDにおいて、鮮烈なプロコフィエフの演奏を聴かせており、明晰な才能を感じさせています。最近はニューヨーク・フィルとの初共演も行い、ますますピアニストとしての躍進を極めています。今回、ガヴリリュク本人に、プロコフィエフの録音に関してのお話を聞いてみました。
©Roy Quesada
-マエストロ・アシュケナージとの録音はいかがでしたか?
Gavrylyuk: マエストロ・アシュケナージは私が長年尊敬している音楽家です。 というのも、今日のマエストロの多忙な音楽活動はもちろん、私が幼いころからずっと聴き続けてきた、膨大な数の素晴らしい録音を残しているからです。 ですから、マエストロからこのプロジェクトに招きたいとの電話を受けたとき、私は深く感動し、また光栄に思いました。マエストロ・アシュケナージとの共演は極めてインスピレーションにあふれる経験でした。 そしてマエストロが素晴らしい音楽家であり、広い心と高雅さをお持ちの方だということに気づかされました。 私たちが演奏した音楽はシリアスな内容でしたが、マエストロとの共演はとても前向きであり、得るものが多い作業でした。
-約2週間でプロコフィエフの録音を行いましたが、このような短期間の録音で難解なこの5曲の協奏曲を仕上げたことは、あなたにとってどのような演奏体験をもたらしましたか?
Gavrylyuk: 確かにレコーディング・スケジュールは過密でしたが、無理矢理であったり、強制的であったりとは思っていません。 むしろ、短期間でプロコフィエフを弾くというモードに簡単に切り替え、そのまま突っ走って続けることができたので、そうした日程もよかったと思います。 7つの演奏会やレコーディングというこのプロジェクトのために行った準備は、とてもエキサイティングでスリリングな、インスピレーションのあふれる、忘れがたい経験のひとつだと感じています。
-プロコフィエフのピアノ協奏曲の魅力についてお聞かせ下さい。
Gavrylyuk: プロコフィエフのピアノ協奏曲は、ユーモアや風刺、プロコフィエフの見識眼にみちあふれた音楽であると同時に、表現の境界を押し広げる音楽だと思っています。 私見では、私たちはこれらの協奏曲をのなかに、ヴィルトゥオージティに覆われた重苦しさ、辛辣な風刺を聴き取っています。 そして、そのような重苦しさ、風刺といったものは、作曲された当時のひどさ、あるいは理不尽な脅威への反応として受け取れると思っています。
-録音中のシドニーでの滞在生活はどうでしたか?
Gavrylyuk:シドニーでの滞在はとても楽しいものでした。かつて9年間住んでいたこともあって、多くの友人がいます。 そしてオペラハウスは、レコーディングにとってなんと美しい場所だったことでしょう!
-最近はニューヨーク・フィルと初共演をされたり、とても多忙な演奏活動で活躍していますが、今後の活動予定、また目標などを教えてください。
Gavrylyuk: 最近、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を弾きました。特別な経験でした。 しかも、オーケストラは次のシーズンにも再び私を招聘してくださいます。そこではチャイコフスキーの協奏曲第2番を弾こうと思っています。今後の予定には、ヴェイル・フェスティヴァルでニューヨーク・フィルハーモニックと、ハリウッド・ボウルでロサンジェルス・フィルハーモニックと、ヴラディミール・スピヴァコフ指揮、ロシアナショナル管弦楽団とのロシアツアー、マエストロ・ゴレンシュタイン指揮、スヴェトラーノフ交響楽団とロシア、ヨーロッパ各国でのコンサート、パリ管弦楽団との共演のほか、他のヨーロッパのオーケストラとの共演もあります。 また、マエストロ・アシュケナージからは2011年NHK交響楽団との演奏会に招待されました。将来的な目標についてですが、音楽に対して常に真摯な姿勢であることを最優先としながら、音楽的、個人的、精神的発展というはしごを登っていくことに最善を尽くすということだと言えます。
ー日本のファンの皆さんにメッセージをお願いします。
Gavrylyuk: 私自身、日本に何度も訪れており、多くの友人がいて、文化や人々に強く惹かれていることもあり、日本は私にとってとりわけ愛着のある場所となっています。 しばらく日本を訪れることがないときには、日本を恋しく思うことがよくあります。言ってみれば、「家」のひとつだと思っています! ですから、2011年に日本に何度か行き、日本の聴衆の皆様とまた音楽を共有できることを大変楽しみにしています! 私は、音楽とは境界のない人間の魂という言語のようなものだと思っています。 ですから、情熱を持って音楽を抱擁し、私たちで大きな喜びとともに音楽を共有しようではありませんか。